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小村寿太郎と旧新橋停車場

汐留のビル街に作られた旧新橋停車場鉄道歴史展示室を訪れました。建物は当時の駅舎を再現したもので、新橋停車場があった真上に当時の外観そっくりに建てられています。玄関と反対側にはプラットフォームとゼロキロメートル標識が建てられたレールが敷かれています。

新橋停車場は明治の当時、海外に赴く東京からの玄関でした。ここらか汽車に乗って横浜まで約1時間。横浜から船で海外へという道中だったのですね。当時いろいろな人がここを旅立っていきました。

正面玄関:
IMG_1916_7_8_tonemapped.jpeg

プラットフォーム側:
IMG_1910_1_2_tonemapped.jpeg

当時の軌道を再現したもの:
IMG_1895_6_7_tonemapped.jpg

新橋が起点の零キロメートル標識:
IMG_1898_899_900_tonemapped.jpeg

私はこの旧新橋停車場で一人の外交官を思い起こしました。その人の名前は小村寿太郎 (宮崎出身、1855-1911)。日露戦争の講和条約全権としてアメリカニューハンプシャー州のポーツマスでロシア全権ウイッテと交渉をした当時の外務大臣です。

Jutaro_Komura.jpg

講和交渉会議は当時のアメリカ合衆国ルーズベルト大統領の仲介のもと、ポーツマスの海軍工廠の3号ビルで行われました。1905年8月から9月。

キタリー海軍工場

日露戦争では多くの国民が命を落としました。それでも頑張った結果、陸軍の勝利(旅順陥落1905年1月2日、黒溝台会戦1905年1月25日、奉天会戦1905年3月)や戦争の分水嶺ともなった日本海海戦(190年5月)で完璧な勝利を得たことから日本国民はロシアから賠償や領土割譲等の大きな戦果を得られると期待しましたが、日本がそのときに置かれていた立場は軍用資金も底をつき追加戦力、および補給なども枯れていてこれ以上戦いをする余力も使い果たしていた状況でした。一方負けたとはいえロシアはさらにシベリア鉄道をつかい新しい兵力をどんどん戦線に送ってきている状況でした。ただロシアにも皇帝独裁に辟易した民衆の革命の兆しもありそれなりに戦争を終結しなければならない事情もありました。ただ日本と比較するとまだ戦争継続力はあると考えられていました。

日本が戦争継続不可能であることを国内で発表する訳にもいかず(ロシアに分かってしまうので)、小村寿太郎に託された講和交渉は相当な困難を強いるものでした。米国に出かけるときは多くの民衆が沿道に立って歓送を行いましたが、帰国は厳しいものになる事は自明であったのです。が、小村はあえてその重責を担う決心をし全権大使を引き受けたのでした。やはり交渉の結果、賠償金もとれず、樺太の南半分を割譲されたのみで戦勝国としてはあまりにも厳しい成果になったのです。小村を待っていたのは大衆の怒りと失望、それを成し遂げられなかった小村にすべての矛先が向かったのでした。帰国した小村を当時の桂総理大臣、山本海軍大臣が新橋駅に出迎えあえて自分たちが盾となって小村を群衆から守ったというのは有名な話です。

ただこの講和条約により、日本は朝鮮半島への勢力を拡大し、南満州鉄道の権利を得ました。このことは将来アメリカとの関係に微妙に影響を及ぼしていくことになりますがそれはまた後の話。

471px-11_KatsuraT.jpg 427px-Gonbee_Yamamoto_later_years.jpg
桂太郎              山本権兵衛

しかし誰かがそのようなつらい仕事を行わなければならなかった以上、その責務を『自分が勤めるべし』と腹に決めた小村という人は気骨をもった外交官であったのですね。

新橋停車場はそのような歴史の証人でもあるのですね。

おまけの話:私は仕事でたびたび東海岸のマサチューセッツ州を訪れたことがありますが、そこから車で北にルート95号線を約1時間ドライブするとニューハンプシャー州のポーツマスに着きます。ここにはおいしい日本料理を出す『さくら』という日本レストランがあります。

ポーツマス日本レストランさくら

ボストンからポーツマスへ。ボストン郊外のケンブリッジには小村寿太郎が留学したハーバード大学があります。
ポーツマス

参考文献:吉村 昭著 ポーツマスの旗(新潮文庫)

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