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黄檗山萬福寺その1:鉄眼一切経

黄檗宗萬福寺の開山は中国出身の隠元禅師によっておこなわれました。禅宗の教えだけでなくインゲン豆等の野菜も中国からもたらしました。当時のお寺は学問の中心だけではなくいろいろな実践もおこなって世の中の役に立っていたのですね。今回のお話はこの隠元禅師と若き日の鉄眼禅師の関係から始まります。

さてこちらがその隠元禅師の御廟(寿塔)です。
IMG_3024_5_6_tonemapped.jpeg

この本院の北方向の隣に仏教の全てをあらわしたお経を保管している所があります。鉄眼一切経版木収蔵庫といいます。西遊記で有名な大唐西域記を著した玄奘は別名三蔵法師と呼ばれているように、三蔵とは仏教で言う『経』『律』『論』のことであり、これら経・律・論および、その注釈書などは、大蔵経もしくは一切経と呼ばれる叢書にまとめられています。ここでは鉄眼禅師が作成した版木による一切経が保管されています。

この貴重な場所を機会があって見学することができました。昔は巻物であったのでお経は何巻でよばれますが、ここには6956巻、全ての宗派で使われているものがこの一切経に含まれています。

1669年一切経の開版を志した鉄眼禅師は隠元禅師から黄檗山内に寺地を授かり蔵板と印刷所を建立したのだそうです。隠元は鑑真と同じく大陸から渡ってきた高僧で当時既に一切経を明で発刊している事で有名でした。鉄眼は日本でもそのような形で一般の人たちにお経を広めるべくその思いを隠元に告げたのでした。隠元はそれに感じ入り彼が持参した一切経を鉄眼に託したと言われています。

陰元所有の一切経は版木を制作するときのマスクとして使われましたので、もうそれは残っていません。しかし今後版木印刷で広く世間に一切経が広がる事が大事ということで隠元は喜んで提供したのでしょう。

下の写真は所蔵されている版木の一部。
IMG_3051_tonemapped.jpeg

版木の材料は桜の木が使われています。書体は版木のもとになる経典が明朝のものでその書体(フォント)が今の明朝体として伝えられています。また版木は40×40の文字で構成されており、これが今の原稿用紙の基本になりました。

印刷面
IMG_3054_tonemapped.jpeg

前述のように版木の作り方は隠元禅師が所蔵していた明朝版の一切経を裏向けに桜の木に張り合わせそれをマスクとして上から字を彫っていったとの事。相当の時間がかかりました。鉄眼はこの作成の為に資金集めに奔走しました。資金は全て寄付に寄るものでした。さて1回目に集め終わったとき(現在の金額にして約100億円)には大洪水がおこりその錠剤を復興にまわし、再度資金調達したときにも飢餓が起こりそちらの救済に資金をまわすことになったそうです。ようやく3回目に事業を達成することができました。この為に鉄眼は3回一切経を開版したと言われています。足掛け17年位も及ぶ事業でした。

この鉄眼の事業は平和になった江戸時代、仕事のなくなった浪人達に雇用をもたらしたそうです。武士は昔から字が読め教養があったのでこのような仕事にはうってつけでした。また版木の制作は全くの流れ作業で行い、斜めの字画、垂直の字画等を流れ作業で彫っていったそうな。その結果同じ字は全く正確にかつ同じに彫り上がっています。この方法だと手先の器用な人は仕上げ、そうでない人も仕事ができたのですね。仕上がりも個人差が出ないし。当時は既に埋め込みの活字印刷技術もあったようですが、あえてそれを使わず版木にしたのは、いつでも印刷できる長所を持っていたからと言われています。

この技術はその後浮世絵の版画技術等にも発展していく礎となったようです。鉄眼さんは、あたらしい産業を興したのだから今で言うアントレプレナー(起業家)だったのでしょう。

版木は国の重要文化財になっています。今でも現役で印刷されています。
印刷される紙はコウゾがよく含まれる上質の和紙だそうです。
IMG_3046_tonemapped.jpeg

印刷された阿弥陀経
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なかなか面白い一日でした。もう一つ萬福寺では楽しみを経験しました。それは第2弾で。

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