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阪和超特急

前回の記事でドイツのS3/6蒸気機関車は明治時代にはもう既に昭和の狭軌鉄道の傑作C62の馬力を凌駕していたとのべました。それでは標準軌道で施設された日本の南満州鉄道の代表的な特急アジア号はどうだったのかをWikipediaで調べていたところ、戦前日本鉄道史上伝説となっている阪和鉄道の超特急の話を見つけました。アジア特急の評定速度が時速82.5kmだったのが、阪和特急は評定速度は81.6km。標準軌道と狭軌の差を感じさせないこの記録は1958年に東海道線に電車特急『こだま』が導入されるまで破られなかったほどすごい記録だったようです。

満鉄特急あじあ号               ビジネス特急こだま
800px-Super_Express_Asia.jpg since_1958_ph001.jpg

ところで...阪和線と言えばそのむかし少年時代(1960-70年代)に私が和歌山から天王寺までよく乗っていた路線ではありませんか!
このような話があるとはつゆ知らず通学等に乗車していたのでした。最もその頃は私鉄ではなく国鉄時代で速度はすこし落ちていたのですが。それでも快速は1時間を切っていたように記憶しています。平行して走る南海電車は急行で1時間10分かかっていました。天王寺駅近くになると高架になって和歌山から来ると大きな都会に来た気持ちになりました。

冬の寒い日天王子発和歌山行きの電車に乗ると途中までは混んでいて車中は寒くはないのですが、和歌山に近づくに連れて乗客が減っていき、座席の下の電熱ヒーターだけがやけに熱くて社内は息が白くなるくらい寒い状態になって乗っていた事が思い出されます。

京阪鉄道グループや地方の有力者などが紀勢方面への延伸を狙って設立したのが阪和電気鉄道という会社。南海電車に対抗して高速運転を前提とした路線を造ったのが事の始まりでした。軌道は高速運転に耐えるように堅牢にまた直線距離なるべく多くなるようにした事。また運行する電車も破格の仕様を備えたものを用意したのです。1930年、和歌山までの開業当初は、阪和天王寺 - 阪和東和歌山間(現、和歌山駅)の61.2kmを急行が65分で結んでいましたが、1933年(昭和8年)12月にスピードアップし同区間を45分で運転されました。前述のように評定速度は時速81.6kmで1959年の国鉄のこだま号が時速83.46kmを出すまで破られなかった破格の記録を持っていました。

阪和電鉄の認可最高速度は当時の国鉄同様95km/hでしたが、現実にはしばしば時速120kmから130kmにも達する速度違反が行われていたともいう実話があります。それだけではなく、お客が改札にいる間は発車を遅くらせて出発し、それでも和歌山には定時に着くという回復運転を厳守していたと。一応安全係数は見込まれたものの、これは高規格な軌道と大出力電車の高性能を頼りにした恐るべき「暴走」ぶりであったようです。

使用された車輌ですが、モタ300シリーズやモヨ100シリーズ等があり当時としては最強の性能を持った電車でした。どうも時速130kmも出していたらしいのですが、それが実現できるほどパワーがある電車だったのですね。

阪和線電車

1954-02-21-007.jpg

天王子駅の今と昔の情景。
快速の出発ホームから眺めた景色。各駅停車は一番右のホームに入選してきます。
出発のときはクロスのポイントを車体をくねくねと曲がりながら通過していきます。
櫛形のホームは乗車と降車専用ホームに別れています。
20s+1.jpg

ポイントの位置が少し変わっているように見えますが、私が乗っていたころと今は同じ線路だとおもいます。
この先はしばらく高架のままで美章園という駅につながっています。途中の南田辺駅には大きな池がありそばにシャープの本社が見えていました。
IMG_3130_1_2_tonemapped.jpeg

昔の面影が残る櫛形の終着駅型ホームと大屋根。
この写真は当時の区間快速クハ76型電車(国鉄の思い出ブログ)からお借りしました。
この電車で天王寺和歌山間を往復した思い出があります。
塗装は明るいオレンジとグリーンで東海道の湘南型の塗装より明るめの感じでした。
クハ76

ホームの大屋根は健在ですが、列車の到着出発が下の関西線ホーム経由が多くなっているようでなにか寂しい感じがします。
IMG_3136_7_8_tonemapped.jpeg

JR阪和線となった後1994年9月4日のダイヤ改正時「くろしお」の最速38分運転(表定速度96.8km/h)が実現したことがあります。下の電車は振り子型の電車で紀勢本線の急カーブを速度を落とさずに走ります。
top.jpg

今はもう和歌山には住んでいないので、阪和線に乗る事はあまりありませんが、ふとした事から昔を思い起こさせる話ではありました。このような伝説的な事柄があったことなど近くにいても分からないものなのですね。



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