プロフィール

kazutabakun

Author:kazutabakun
好奇心旺盛でいろいろなことに興味を持つタイプ。

最新記事
Amazon
時計
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
FC2ブログランキング
気に入ったら下記をクリックしてください。

FC2Blog Ranking

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

古寺巡礼:奈良唐招提寺

1300年前に海洋を渡る旅というのはどういうものだったのでしょう。今でいう『月や火星への旅』のようなものなのでしょうか?否、旅の目的は夢を追うものではなく(その要因は少しはあったかもしれませんが)もっと卑近的且つ切実な事柄だったのではないでしょうか。聖徳太子が遣隋使を送って以来、書物や伝承等を通してかの西域には自分たちにはない魅力的な文化があった事を天平の人々は知っていたはずです。大陸の文化を吸収したいという想いと仏教の精度をとりいれて国の成り立ちをもっと堅牢なものにしたいというエネルギーがインテリの僧を遣唐使船に乗せたのでしょうか。しかも実際の旅は艱難辛苦で無事目的を達成して帰国できる保証は何にもなかったのに。

唐招提寺は唐の高僧鑑真が来日し戒律を広めた最後の場所。唐に使わされた若き修行僧普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)に懇願されて来日を決意。5回の失敗を経てようやく6度目に九州に到着。その間に失明するという全く命がけの旅でした。時の玄宗皇帝も尊敬していた鑑真がなぜそれほどまでの決心し来日を企てたのか?日本の仏教交流に対する熱意、戒律流布の処女地であった日本に魅力を感じたなど、しかしやはり大きな要素は普照と栄叡らの若い力による強い招請運動に心を動かされたのではないかと推察できます。

この題材は井上靖の好奇心を揺るがしたのでしょう。『天平の甍』を書く事でこの答を探したのではないでしょうか。困難な旅は人々の当初の覚悟を大きく変えることがあります。目的を果たせず海に消えていった人、帰国がかなわずかの地でとどまった人、それぞれの人となりの生き様も描きたかったのでしょう。

IMG_3539.jpg IMG_3545.jpeg

和辻はしかしこのような疑問に答える試みを古寺巡礼の書の中では触れていません。鑑真来日の経緯については詳しく鑑真東征伝にのとって述べているもののその伝承の域を出る記述はありません。それよりも和辻の観察眼は鑑真一行がもたらした唐の文化、建築やその人材が日本にそれ以降もたらした影響について向かっています。奈良時代の日本の発展の一翼を担った鑑真一向の足跡はその後の日本の歴史に大きな発展をもたらしたと見ているのです。唐招提寺や奈良の建造物にはかの有名なアテネの神殿に使われたエンタシス形式が採用されていています。まさしくそれらが鑑真一行が仏教戒律とともにもたらした恩恵なのでしょうか。

薬師寺は訪れたことがありますが、実は唐招提寺は今回が初めて。昔の自分には見えなかった何かがそれから30年経った人生で見えてくるものがあるのかどうか?まず南大門から参拝を始めました。
IMG_2802_3_4_tonemapped.jpeg

これは私の印象ですが、唐招提寺は薬師寺やその他の伽藍形式の寺とは違って、お寺というより鑑真の家のような気がします。南大門を抜けて金堂の前に立って、周りを見渡したときにそのような風を感じました。東大寺で戒律を授ける大仕事を行った鑑真が都の西に新田部親王(にったべしんのう)の宅地を賜って創建したお寺なのでなおさら公というより私というおもむきがありそうです。ただ金堂を見ると壮大な建物で単なる私邸と呼べるには規模が大きく受戒は続けたようですのでやはり公式の場ではあったのでしょうが、私には今の唐招提寺が上記の印象につながっています。唐招提寺という名前の意味は『唐僧鑑真和上のための寺』ですからやはり私寺という性格のものではないかと思っています。

これが唐招提寺の金堂。2008年に大修繕を終えて往年の姿を見せています。大きく張った大屋根で大変立派なものです。中に安置されているのは盧舎那仏。東大寺の大仏と同じ仏像です。
IMG_2808_09_10_tonemapped.jpeg

金堂の向かって右側には鼓楼と長く伸びた建物があり礼堂(らいどう)と東室(ひがしむろ)に別れています。
IMG_2811_2_3_tonemapped.jpeg

礼堂と東室、向かって奥の方に本願殿と松尾芭蕉の句碑があります。元禄元年(1688)ここで、鑑真和上坐像を拝した際に芭蕉が詠んだ「若葉して御目の雫拭はばや」の句が刻まれています。本願殿の後ろに御影堂(みえいどう)があります。
IMG_2814_5_6_tonemapped.jpeg

礼堂と東室の間の通り道から庭を見通した景色。この先に宝殿があります。
IMG_2823_4_5_tonemapped.jpeg

御影堂(みえいどう)の入り口。通常は一般開放されていません。こちらには有名な鑑真和上座像が納められており、また東山魁夷画伯の障壁画が奉献されています。毎年6月6日の開山忌捨利会の前後3日間のみ参拝を許されます。
IMG_2829_30_31_tonemapped.jpeg

鑑真和上廟。今も線香と花が絶えません。
IMG_2838_39_40_tonemapped.jpeg

御廟を囲む苔むした庭。
IMG_2844_5_6_tonemapped.jpeg

ぐるっと回って帰ってきた西側から見た金堂。柱のふくよかなふくらみがよくわかります。正面から見るのとは違う表情を見せていますね。
IMG_2859_60_61_tonemapped.jpeg

鑑真和上は来日して10年間戒律の布教に勤め日本の仏教の基礎を創られました。東大寺に最初の5年間。なくなるまでの最後の5年間を当地で過ごされました。盲目のみとなっても渡来された鑑真和上は日本でどのような人生を送られたのか?満足されたのか、まだやり残すことがあったのか?直接お伺いしたい気になりますね。


スポンサーサイト

Comment

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。