プロフィール

kazutabakun

Author:kazutabakun
好奇心旺盛でいろいろなことに興味を持つタイプ。

最新記事
Amazon
時計
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
FC2ブログランキング
気に入ったら下記をクリックしてください。

FC2Blog Ranking

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

モーツァルト(4):サリエリとモーツァルト

モーツァルトの話、続きです。今回は、同時代に大天才とよばれる人のそばで同じときを過ごした優秀ではあったけれども超天才とはいえない音楽家の話です。名前はアントニオ・サリエリ(1750-1825)。この人の実像はともかくサリエリという名前が出ると常にモーツァルトとの対立という彼の立場に脚光が当ります。

サリエリとモーツァルト
Antonio Salieri (1750-1825)   Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
463px-Joseph_Willibrod_Mähler_001   mozart.jpg

サリエリが存命中からあったモーツァルトの才能に嫉妬して毒殺を企てたといううわさ話は有名です。本人も相当この噂に悩んだようで弱気の発言をして不幸にも彼の弟子モシェレスにまで疑われたり、親交のあったロッシーニに直接『モーツァルトを毒殺したのか?』と聞かれる始末。ベートーベンの筆談帳にもこの話が載せられたりしているそうです。

実際のサリエリは音楽家としては当時成功者で高い社会的地位を獲得し、教育者としても評価が高かったのですね。彼の生徒にはベートーベン、シューベルト、上述したモシェレスさらにモーツァルトの弟子のジェスマイヤーとモーツァルトの子フランツも教えてます。イタリア出身でオーストリアで名声を博したのですからそれなりの実力があったのでしょう。とくに教育には熱心であったそうです。モーツァルトの曲も多く演奏したのです。

映画アマデウスでの表現
映画アマデウス(1984年作、これは全くのフィクションですが)でサリエリは重要な役回りを演じます。はじめに述べたように、後世に多くの作品を遺した天才のそばにいてその作品を誰よりもよく理解できた人間、しかし自身は大天才の才能を持っていない限界もよく知ってしまった悩める人間。「アマデウス」の大きなテーマの主役兼狂言まわしにはもってこいの人であったのでしょう。人間はやはり人に認めてもらいたい願望がありますね。芸術家にとって自分が何かを遺すということはこれ以上ない喜びであったのかもしれません。サリエリは生前にもうすでに認められた存在でその栄光を神から賜りものとして感謝をしていたのですね。そこにモーツァルトという希有の才能が現れた。又その才能をいち早く彼が見抜いた。まして天賦の才を渡された人格が決して品行のいい人間ではない。ああ、神はなんと惨い遊びを行うのか?巷でいわれているような才能に対する嫉妬というような言葉ではなくもっと深い人生の矛盾からくる虚脱感。その心のそこをあらわそうとした作品と思うのです。サリエリは人間みんなの奥底に潜んでいる魂そのものであるように描かれていると感じます。

映画「アマデウス」ではモーツァルト音楽の宝の山からこぼれ落ちてくる音楽を縦横無尽に使っています。これがなおさらこの作品を魅力的なものに仕上げています。

そのなかからサリエリとモーツァルとの才能の差をサリエリがいやという程見せつけられるシーンが下記の動画です。モーツァルトにはサリエリを陥れるような気はさらさらないのですが。。モーツァルトがさりげなく弾くのはフィガロの結婚、フィガロが第一幕の最後に歌う「もう飛ぶまいぞこの蝶々」のテーマです。サリエリのモチーフをモーツァルトが変奏してより素晴らしい音楽になったというシナリオが考えられています。憎い演出です。
ざっと画面の流れを説明しますと。。

- モーツァルト歓迎のマーチをサリエリが作曲している。完成を神に感謝する。
- 皇帝がサリエリの作曲した曲をピアノで演奏する。
- モーツァルトが入ってくる。皇帝がモーツァルトにスコアを渡そうとする。
- 一度聞きましたのでもう頭に入っていますと応えるモーツァルト。
- モーツァルトが演奏を始める。完璧に演奏。
- 更にサリエリの主題を変奏していく。フィガロのアリア『もう飛ぶまいぞこの蝶々』。
- サリエリの自尊心が丸つぶれ、思わず神に恨めしそうに言う。感謝しますと。



さらに次のシーンもモーツァルトの音楽を悲しい程感じることができるサリエリを描いています。
モーツァルトの妻コンスタンツェが持参したスコアは一つの訂正もなく音楽の世界を描いていました。まさしく頭に浮かんだ音楽を書き写したように一つの迷いもなかったのでした。
サリエリはまさしくこれらのスコアに神の音楽を見たのでした。それと神が自分ではなく、モーツァルトを選んだ事も。

1. フルートとハープのための協奏曲 K299 第二楽章
2. 交響曲29番 K201 第一楽章
3. 2台のピアノのための協奏曲 K365 第三楽章
4. 協奏交響曲 K364, 第一楽章
5. ハ短調ミサ K427 キリエ



さて、映画ではサリエリが謎の使者に扮しモーツァルトにレクイエムの作曲を依頼するシーンがあります。モーツァルトはこの音楽が自分のためのレクイエムとして信じ込んでいき、命が絶えるまで作曲を続けることになります。本当はある田舎の領主フランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵が婦人にレクイエムの曲を自分の曲として捧げるためにモーツァルトに密かに依頼したというのが実際の話らしいのですが、映画「アマデウス」の作者はサリエリを依頼者にさせてこのレクイエムをモーツァルトのためのものと強く位置づけしていますね。

サリエリ扮する使者
スクリーンショット(2011-09-16 21.34.24)

余談ですが映画ではモーツァルトの父レオポルト・モーツァルトにも使者と同じような黒い衣装を着させています。モーツァルトは幼少の頃から父に支配されていたというファーザーコンプレックスも描きたかったのかもしれません。使者の要望が父親の命令と同じく絶対的なものと位置づける演出だったのでしょうかね。この映画でのドン・ジョバンニの「鎧の騎士」は父レオポルトのシンボルとして描かれています。父親が現れる下のシーンではその曲が流れます。

レオポルト・モーツァルト
スクリーンショット(2011-09-16 22.00.57)

レクイエム
レクイエムは歌劇「魔笛」が成功裏に初演された1791年9月30日からさかのぼる1ヶ月前に依頼され、書き始められました。11月頃から体調を崩したもののこのレクイエムは書き続けられ12月5日モーツァルトが憔悴して息を引き取るまで書かれました。レクイエム第8曲のラクリモサ(涙の日)。モーツァルトの筆が止まった楽曲です。かれはこの曲の8小節目で筆を置きました。後は弟子であるジェスマイヤーがモーツァルトが言い遺した指示のもと、オーケストレーションと後半を書き上げました。

カールベーム指揮ウイーンフィルハーモニー管弦楽団演奏。レクイエム、ラクリモサ


未完のレクイエムは弟子のジェスマイヤーによって完成されました。演奏はジェスマイヤーが補筆した部分も含めて完結された形で今日も演奏されています。ジェスマイヤーの補筆にはその後いろいろ議論があり、バイヤー版、モンダー版、など幾つかの版があります。最近はジェスマイヤー版も見直されてきているようです。これは後世の音楽家がどうのこうのというより、当時同じ時代を生きた作曲家達がモーツァルトの音楽をどう感じて補筆したかを尊重するとう考え方にたっている訳ですね。

次の曲は少し長いのですがモーツァルトでなくてジェスマイヤーによって作成されたレクイエム第12曲Bendedictus(祝福されし者)の動画です。モンダー版で削除されている楽曲です。私はこの曲も気に入っています。


再びサリエリ
モーツァルトは郊外の共同墓地に葬られその場所は今も分かっていないそうです。サリエリがその葬儀に出席したという話も伝わってきています。

映画の描写に何度も強調されるようにサリエリの不幸は、モーツァルトを認める才能(これはまたすごい才能ではあったのですが)をあたえられたが自分にはモーツァルトほどのそれがないという事も分かっていた。しかもその天賦の才能がどうしようもない品行の悪い人間にという神の理不尽さに救われない気持ちになったということでしょうか。映画でのサリエリは決して悪人ではなく、悩める人間そのものとして普通に存在する凡人にある煩悩を持った悲しい人間としてまたある意味肯定的に描かれています。

最後に流れるモーツァルトのピアノ協奏曲20番の第二楽章。「I absolve you 罪を赦されよ」と笑みを浮かべて運ばれるサリエリ。どこからか聞こえるモーツァルトの笑い声。大変印象的でした。


実際のサリエリはモーツァルトの音楽を拡げようと働いたと伝えられています。魔笛を見て「これが本当のオペラだ!」と言ったという話もあります。実像とは裏腹にあまりいい印象を持たれない人間像がつくられてしまったサリエリは気の毒というほかないようです。近年まだ少数派ではありますが、サリエリの音楽を再評価しようという動きがあるそうです。



スポンサーサイト

Comment

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。