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僕らが学生になった頃

私が大学生になった頃というのはどういう時代だったのだろうとふと考えることがありました。ちょうど1968年頃です。
思い出すまま羅列しますと:1968年当時は70年安保の時代でした。今までに例のない東京大学の入学試験の廃止。大学1年にはなったけれど学校校内はバリケードで封鎖され講義も何もない日々が続き、柴田翔の『されど我らが日々』などの本が読まれて、浅間山荘事件、三島由紀夫と盾の会の防衛庁乱入割腹自殺事件などなど。めまぐるしく変化する時代でした。一方、1970年には万国博覧会もあり、日本がどんどん伸びていきそうな空気が支配していました。私はあまり読まなかったのですが、39歳で若くして癌でなくなった高橋和巳を思って悲しいという人もいましたね。学生の頃は熱病のごとく世間にたいして何かしら反感を持っていたのです。

大阪万国博覧会 東大安田講堂事件
大阪万国博覧会 1970                安田講堂事件 1969

アメリカに対しては複雑な感情を持っていました。何でも唯我独尊で押しまくってくる国。当時はベトナム戦争がまさにひどくなってきていてテレビから流れてくる情報しか知らない私はアメリカに対して自分でも分からない正義感にかられたこともあります。又それとは逆に同じくテレビから流れてくるホームドラマに見る裕福な暮らしをしているアメリカに少し羨望も覚えたりして。
その後仕事などを通じてアメリカというものを自分なりに消化し理解していったのにくらべてなんと浅い理解であったかとは思いますが。ハイテクノロジーの分野では、アメリカではその頃トランジスター素子を使った回路が発明されフェアチャイルドから独立したインテルが産声を上げたときだったのですね。シリコンバレーでのベンチャー揺籃期からようやく一人前の企業群が出てきつつあった時期でした。


img_1488195_47226966_0.jpg私はノンポリのまま何をするのではなく、気が向けばデモに参加したりして機動隊に追われたりもしました。あまり深く考えずに流れに追随していたのでしょうね。それはそれなりに麻疹にかかったように安部公房『砂の女』、埴谷雄高の『死霊』や、数学者の岡潔の書物などを読んでいました。学校に行くよりも学校の近くの喫茶店に入り浸りの日々でした。しかし三回生ぐらいになるともう安保闘争のような面影はなく目の前にある就職活動に奔走していたように思います。当時は日本経済の興隆期で新入社員の給与も毎年上がっていくという全く今とは違う状況でした。モーレツサラリーマンという言葉がはやっていました。



すこし時間をさかのぼって。受験生の頃の楽しみといえばラジオの深夜放送。そこから流れてくるフォークソングがボブ・デュランやジョーン・バエズの反戦歌や日本のフォークシンガーのメロディ、高石友也の受験生ブルース(まさしく旺文社赤尾の豆単)、フォーククルセダーの歌など。あの頃はみんなギターを持っていたっけね。小室等さんが教則本を出していたりして、その中のスリーフィンガーやカーターファミリーピッキングなどを練習していました。そのなかでも私の印象深いのは今はもう亡き加藤和彦と大学卒業後医者になり日本精神分析学会の会長も務めた北山修の歌った『あの素晴らしい愛をもう一度』。

二人で歌ったライブの録音です。少し音質は悪いけれども観客の歌声などが入って大変いい雰囲気になっていますね。1971年の録音。


反戦歌ではないけれども、目を閉じて聞くと昔の貧しい生活が見えてくる赤い鳥がうたった『竹田の子守唄』。一時期この歌は放送が自粛されていたことがあります。差別の言葉を使っていると。しかし今はオリジナルのまま歌われています。松岡正剛の記事 → 松岡正剛千夜千冊『放送禁止歌』

赤い鳥、ハイファイセットを経てソロ活動中の山本潤子さんの映像です。


この他には同じく松岡正剛さんが京都時代に伊藤忠に入社した恋人IFのために作詞作曲した『比叡おろし』を思い出します。高石友也とナターシャセブンのラジオ深夜番組で紹介していました。その記事 → 松岡正剛千夜千冊 遊蕩編 ヘミングウエー キリマンジャロの雪。五木寛之、笑福亭鶴瓶も好きな曲だとか。

小林啓子さんが歌ったバージョンです。この他に小室等さんが歌ったのもあります。


それから40年あまりの人生を過ごして私自身も相当変わってしまったようですが、少し目をつぶれば昨日の事のように20歳の多感な時代を思い浮かべることがあります。今から思うとほろ苦くしかし楽しい時間であったと感じています。


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