プロフィール

kazutabakun

Author:kazutabakun
好奇心旺盛でいろいろなことに興味を持つタイプ。

最新記事
Amazon
時計
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
FC2ブログランキング
気に入ったら下記をクリックしてください。

FC2Blog Ranking

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

碓氷峠:旧信越線跡の鉄道遺産を訪ねて

碓氷峠にある鉄道遺産を訪ねてきました。写真は信越本線で活躍した特急あさま。
碓氷鉄道文化むら

碓氷峠越えの信越本線:
碓氷峠は元々中山道の要とも言える峠で海抜387mの横川から海抜939mの軽井沢までを直線距離10km程度で登っていかなければならない難所でした。峠には東海道の箱根にあったのと同じ関所が設けられていました。明治になっても幹線として重要な経路で1888年に直江津軽井沢間の鉄道が開通し、1885年に東の上野と横川間が開通していました。問題はこの急勾配の峠をどのような形式で鉄道を通すかでしたが、検討の結果ドイツからアプト式駆動方法を採用して1891年に建設が開始されたのでした。工事は1年半ほどの期間で完成(1893年、明治25年)しましたが、難工事で500人もの犠牲が出たそうです。最大勾配は66.7パーミル(1000mで66.7m登る勾配)でした。

R18danmen.png
上記は国道18号線バイパスの標高を表した図です。高崎から碓氷峠頂上まではかなりの急勾配になっているのが分かります。碓氷峠は利根川水域と信濃川水域の分水嶺になっているとの事。

アプト式鉄道:
アプト式レールとは通常のレールの真ん中にラックレール(板状の歯車)を3本敷いた軌道で坂道をこのラックと機関車側の歯車を噛み合わせて登り、下る場合は滑り落ちないような構造になっています。主にアルプスの登山鉄道があるスイスや北ドイツで使われている方式を明治25年に碓氷峠越えで採用したそうです。この形式だと200mmパーミル(1000m進んで200m登る勾配)等の登山鉄道も可能だったとの事。しかし信越本線のように交通量の多い幹線に使われたのはこれが初めてであったと言われています。

IMG_4403_4_5_tonemapped.jpeg Rack_and_pinion_animation.gif
左上の写真はドイツから輸入した機関車の後継機で国内生産されたED42型電気機関車です。駅の構内にいるときはパンタグラフから電気を取り入れましたが、狭いトンネルなどのアプト区間はパンタグラフをたたみ、第三軌道から集電しました。いまの東京メトロの銀座線や、丸の内線で採用されている集電方式と同じです。

右上側のアニメーションは板状の歯車(ラックレール)と駆動用の機関車の歯車の紙具合を分かりやすくしたものです。この場合は一つの歯車ですが、アプト式ではこの歯車のピッチを変えた3本のラックレールを使っています。

IMG_4391_2_3_tonemapped.jpeg IMG_4406_7_8_tonemapped.jpeg
左側がラックレール、右側は機関車の下部から見える駆動用歯車です。この二つが噛み合されて坂を上っていきました。

800px-JGR-10001-EL.jpgこの路線が開通した当時は蒸気機関車の運行で列車を延引していましたが、狭いトンネル内の煤煙で運転機関士が窒息する問題や急勾配での蒸気の管理、運転の困難さかつ時間がかかるという理由からこの区間は日本では最も早く電化されたのでした(1912年)。左の写真はそのためのドイツから輸入したアプト式の電気機関車第1号です。後のED42型機関車でも同じですが、横川基地を拠点にして峠越えを行うすべての列車の後方(横川側)に機関車を多重連編成で連結しました。ED42の場合は横川側に3重連、軽井沢川に1台を連結し、計4台の機関車で坂を上りました。上り線(勾配を下る)では同じ列車編成でブレーキをかけながら運転されました。上野から横川まで蒸気機関車、横川で電気機関車に変換、再び軽井沢で蒸気機関車に交換という作業が続きました。したがって軽井沢と横川駅では全ての電車が到着するごとに大忙しの毎日だったようです。この作業からの開放は長野新幹線が1997年この区間を開通するまで待たなければなりませんでした。


粘着式による運転: 
1963年、アプト式に頼らない通常のレール上を粘着式で運転できる機関車が開発されました。碓氷峠越え専用のEF63型電気機関車です。この機関車のおかげでいままで40分かかっていた運転時間がくだりが17分、上りが24分に短縮されました。上りは勾配で言うと下りなので抑制ブレーキをかけて峠を下るので少し時間がかかったという事ですね。

800px-JRE-EF6316-JRW-EC489-Hakusan.jpgEF63の場合も機関車2重連編成を横川側に連結して坂を押し上げて軽井沢方面に、ブレーキをかけながら横川方面へ運転されました。特急電車も全てこの区間の運転はEF63の電気機関車の運転士が運転を受け持ち、電車側は前面の信号状態を機関車の運転士に伝える役目を負ったそうです。なお押上運転などで列車の浮き上がり脱線事故などを防ぐ意味で特急列車などに採用されていた空気バネなどはその空気を抜いた状態で運行されました。私が乗ったときも横川を発車するとそれまでの軽快さはなくなり鈍いレールのつなぎ目の振動が直に車体に伝わって乗り心地が悪かった事を覚えています。左の写真は特急白山を牽引して碓氷峠から横川に向かうEF63の勇姿です。


碓氷鉄道文化村
新幹線開通後、廃止になった横川軽井沢間の鉄道遺産を守るための一つの試みとして横川駅に隣接していた運転区がいまは鉄道公園になっています。急勾配で活躍したアプト式の電気機関車EF42や粘着式のEF63型電気機関車が当時の姿で当時のままの整備工場に今にも動きそうな形で展示されています。
IMG_4397_8_9_tonemapped.jpeg IMG_4400_1_2_tonemapped.jpeg
上の写真はEF63とその運転席の写真です。ここでは講習を受ければ実物のEF63を運転できるコースがあります。なかなか本物の機関車を運転する機会などはありませんのでたいそうな人気があります。108トンの機関車を自分で運転できるのはいいですね。

IMG_4433_4_5_tonemapped.jpeg
保存されている機関車や客車達の俯瞰図です。碓氷峠の列車達に限らずここではかって活躍した特徴のある車輌が静態保存されています。前面の蒸気機関車はおなじみのD51型蒸気機関車。

IMG_4445_6_7_tonemapped.jpeg IMG_4424_5_6_tonemapped.jpeg
左上の写真は東海道線の特急などに使用された国鉄のエースであるEF58型電気機関車。半流線型の形がファンならずとも人気のある機関車でした。その左となりに展示されている機関車は関門トンネル専用で使用された機関車で、海底トンネルの塩分による腐食を防ぐためにステンレス鋼で車体が作られた珍しい機関車です。
右上の写真はロータリー型の除雪車DD53-1。ディーゼル機関車に押されながら線路に積もった雪を前面のロータリーで吹き飛ばします。その右側は蒸気機関車の後継機として開発されたディーゼル機関車DD51の1号機です。

旧信越本線の遊歩道『アプトの道』を歩いて
下図のように横川駅から眼鏡橋まで遊歩道が整備されていて『アプトの道』とよばれています。明治に開通した旧アプト軌道にそって山の景色とレンガ造りのトンネル、橋梁などの鉄道遺産を訪ねながらゆっくり上り坂を歩くことができます。軽井沢、横川間の勾配が徒歩でも実感できました。

map01.gif

IMG_4508_09_10_tonemapped.jpeg アプトの道の出発点は横川駅。道は丸山変電所跡まで直線で登っていきます。この写真は横川方面を向いて撮影したもので右側の線路は下り線(峠に向かっては登っていますが)です。線路の上に架かるつり橋は上信越自動車のものです。遊歩道の道端には紅葉やいろいろな木が植えられて眼を楽しませてくれます。写真には写っていませんが更に右側下には霧積川が流れています。西条八十の「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」を題材にした森村誠一の人間の証明の舞台です。

IMG_4502_3_4_tonemapped.jpegアプトの道を2Km程歩いていくと丸山変電所跡にでます。ここは横川駅から観光用のトロッコ列車が旧信越線跡を走っていてその途中駅がある所です。変電所の中は立ち入り禁止ですが昔の面影を残すように整備されています。もともと明治に電化を行う都合上、横川に発電所を設けてその電気を丸山変電所と軽井沢側の変電所で変圧していたのです。今でも遊歩道側(上り線)のカテナリー架線も昔のままに張られています。レールもそのままです。

IMG_4538_39_40_tonemapped1.jpeg遊歩道の途中に、碓氷川をせき止めたダムによる人造湖、碓氷湖があります。このダムから見た紅葉は大変綺麗でした。京都の紅葉のように赤で一面染められた景色ではありませんが、山肌にそっていろいろな色の木々が紅葉している様はやはり自然の美しさをあらわしていました。湖水と紅葉、青い空のハーモニーですね。

作詞家の高野辰之が熊の平を通る車窓から見た紅葉を題材に作詞をしたと言われている唱歌(紅葉:秋の夕日に)が作られた記念碑が湖畔に作られていました。まさにこの景色が高野辰之が詠った紅葉の世界だったのでしょう。

IMG_4576-1.jpg湖畔でカイトを上げて遊んでいる人たち。逆光にシルエットで浮き上がって見えます。まだ午後も2時頃でしたが既に日が陰っている所があり、その間から日の光が漏れてきています。何やら楽しそうでした。

IMG_4619_20_21_tonemapped.jpeg第3隧道と第4隧道を横川方面に向かって撮影した写真です。明治25年に作られたそのままのレンガ造りで今はもう列車は走りませんがまだ頑丈に残っています。トンネルの中は暗く壁には待避場所というべき横穴が掘られていました。これらをたった1年半で工事して作ってしまったのですから当時は想像を絶する過酷な作業であった事が分かります。

IMG_4625_6_7_tonemapped1.jpg第5隧道をくぐるとそこに広い空間が広がります。このトンネルの先が眼鏡橋です。ちょうど紅葉のシーズンで山肌の色の変化が面白い。ここは吉永小百合さんが出演したJR東日本で有名な撮影スポットです。CMの頃は6月の新緑が映えた時期であったようですが秋の紅葉もまた違った顔を見せています。同じ場所でも四季折々がよく感じられるのですね。

IMG_4580_1_2_tonemapped.jpegこちらが眼鏡橋を下から眺めた景色です。アプト式の鉄路を最初考えたときに更迭の橋梁ではなくレンガ造りの頑丈な者を作ると決められたのでした。後年コンクリートなどによって補強をされましたが今でも雄大な建物として碓氷川峡谷にそびえ立っています。

アプトの道遊歩道は今のところここで終点です。今後は更に熊の平まで延長される予定だそうです。


碓氷峠の紅葉

碓氷峠の秋景色をスライドショーにして唱歌『紅葉:秋の夕日に』の動画を作ってみました。



日帰りでしたが今回の小旅行はなかなか充実したものになりました。


スポンサーサイト

Comment

非公開コメント