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アルキメデス列伝(3): 無限とはなんだろうか?

アルキメデスのパリンプセストで初めて明らかになった『方法:Method』。この中には無限に関しての著述があります。

アルキメデスのパリンプセストの共同著者の一人であるスタンフォード大学のリビエル・ネッツ氏はアルキメデスの方法(Method)で述べられている無限についての考え方を平易に説明していますね。少し長くなりますが和訳したものを掲げましょう。

もっとも知的な数学上の問題は無限の本質についてだろうね。いろいろな意味でそれは数学とは何だろうかということと同じだ。通常の対象物を無限の倍率を持った数学のめがねで見るとそこには様々な無限が現れる。ます円を描いてみる。円周と直径の比は?そうだ、これを表すには何らかの無限の数が必要になる。(π:パイという無限に連なる数字の羅列を持った数)。正方形を描いてみよう。簡単な図だね。しかし、そこに対角線を引いてみる。正方形の一辺とこの対角線の長さの比は?再び違った種類の無限が姿を現す(この比を表すのは驚くべき複雑な本質を持った√2と呼ばれる数だ) 。一つの線を引く。どんな線でもいい。幾つの点がその線の中にある?そう無限に多くあるね。興味深いのは数学はその数が幾つあるか答えることができない。最も簡単な線についてもっとも簡単な質問にも無限の謎が出現して数学はそれを解決することができないのだ。

無限の謎が数学を進歩させたとも言える。無限にある重要な数が与えられたとして、どれぐらい厳密にそれらを性格づけられるだろう?数論の多くがこの質問から派生したと考えられるね。もっと基礎的な事は複雑な比(πと類似な性質の数)を含んだ曲線が与えられた場合、どのように性格付けが出来るのか?直線を測定するのと同じように曲線にも同じ手法が使えるのか?この質問に答える試みこそアルキメデスが行ったほとんどの仕事の動機付けだった。かれは螺旋、楕円、円錐形、球など曲線に影響する計測のほとんどをこころみた。この努力から数学の中心軸に広がった。アルキメデスの計測から彼のアプローチを一般化してより組織的な道具によって現代数学の創設:ニュートンやライプニッツの手になる微分、積分、解析学につながっていったのだ。

無限は大きく二つの型に分けることができるよ。一つ目はPotential Infinity (可能無限)、もう一つはActual Infinity(実無限)というもの。可能無限とはどんなものか考えてみよう。あなたがオークションにいったとしよう。あなたの依頼者はミステリアスなぐらい無制限のお金を持っていて並みいる競札者をはねのけていいという保証をあなたに与えている。彼らが百万ドルを賭けるとあなたは2百万ドル。彼らが1000万ドルと言えばあなたは10,000万ドルという風に。かれらが張った数字よりあなたがいつも大きい。このような状態を可能無限という。なぜこれを可能無限というかだが、この作業を繰り返すといくらでも永遠に継続する。しかしあなたはいつもある決まった数字を取り扱っていて、それが大きいというにすぎない。常に有限の数字を取り扱っているということだね。

したがって可能無限は常に終わりのない拡張していき、且ついつまでも有限な大きさをあらわす。無限があるという捉え方をしていない。さて一方実無限はいってみれば一つの線上の点の数ともいえる。ふたたびオークションであなたのバイヤーがあなたがその一つの直線上の一点に一ドルを入札することを許可したとしよう。これはあなたに無限の賭けをする事を許可したことになる。これは興味深い入札だね。百万ドルの入ったスーツケースを一分間隔で持参したとしてもとてつもない(というか終わりのない)入札が続くことになる。これが実無限というもの。そうだから多くの哲学者はその存在に疑問を持っている。上の可能無限の例との違いが分かるかな?

無限にかんする歴史的な見識と数学の歴史は次のように進んだんだよ。最初は正確かつ厳密証明を好んだギリシャ人達は実無限の概念を完全に避けた。アルキメデスの曲線の測定の厳密な扱い方などでもわかるけれども、可能無限に集中した。次のステップは結果を何か得たいと欲した前期現代数学者によってすすめられた。曲線にたいして一般的な結果を得るために実無限の概念をとりいれたんだ。理屈をこねずに無限というものがあるという事で話を進めたわけだ。ギリシャ人に比較してこの数学者達は厳格さと正確さを少し犠牲にした。19世紀から20世紀の数学者達はその後ゆっくりとかつ苦労をして新しい種類の数学を打ち立てていった。そこではギリシャの数学者達が厳格に可能無限を打ち立てていったのと同じように実無限は厳格に設立された。

ここ最近の数年間でアルキメデスのパリンプセストで発見されたなかで最も重要な事は、以前パリンプセストのアルキメデスの方法の記述で見落とされていたのだが、12行のギリシャ文だった。この記述は西洋数学が無限をいかに取り扱うようになったかの理解を変えることになった。1906年にパリンプセストが発見されて以来、パリンプセストのなかのアルキメデスの方法は数学の歴史にたいする我々の知識による最も重要な貢献として認識されていた。これはアルキメデスの最も興味深い論文であると一般的に考えられていて、パリンプセストの中だけに存在したものなんだ。

この中ではアルキメデスは沢山のいろいろな問題をほとんどの場合に物理と数学の組み合わせを含んだ技法を駆使して解いている。たとえば二つの物体を同時に考える。三角形と放物線の切片。アルキメデスは三角形の各々の線分が放物線切片の線分と天秤でつり合わせをおこない、それ三角形全体と放物線切片全体が釣り合っているとみる。釣り合いの属性は重さと支点までの距離のかけた値が同じ条件で釣り合う。つまり三角形全体と放物線切片が釣り合っているという事はその比がわかれば重さ、すなわち面積がわかり、ここに三角形と放物線切片の面積比が算出される訳である。

1906年位はだいたいの所は判明していたが、2001年の発見は本当にすごいものだった。方法の論文14においてアルキメデスは円筒の体積を求めている。かれはこの考察になんと実無限を参照していたのだね。それは今までの解読者が判読できなくて全く期待された事ではなかった事であったのだけれども、新しい発見によってこれは2000年も前に実無限が数学に使われていたことになるんだね。

アルキメデスはプリズムの中の三角形の数を、三角形の内部の線分の数と同じように決定的に論じる事を必要としている。その際に、可能無限敵な事だけではなくて一直線上の各点の数らしき実無限に関する考え方も提言している。アルキメデスはさらにそのようなものの数(プレトス:Plethos)についても語っている。これは無限の大きな数字について考えた最初の事例だ。今日我々はアルキメデスの2種類の無限があるという言明が正しい事を知っているがいまだそれがアルキメデスが言っているどちらの無限かという事に関しては彼以上に知っている訳ではない。無限の謎はいまだに付きまとう。


オリジナルの英文はこちら

この辺の話に絡んで、ここでかの有名な『アキレスと亀』の話をすこし。実無限と可能無限の話にうってつけの例題になりますね。元々はゼノンのパラドックスの一つとして提唱されてきたものですが。

一応簡単に下記の図を使って話をしましょう。A地点から100の位置にアキレス、40の位置に亀がいるとします。時刻T0に用意ドンで右側にアキレスは毎秒10、亀は毎秒4で進むとします。時刻T1にアキレスが亀がT0にいた位置に来ると亀は既にその先にいますね。さらにT2にアキレスが亀がT1にいた場所に来ると亀は更にその先にいます。どうもこれを繰り返してもアキレスは亀に追いつけないのではないか?という話ですね。しかし実際は10秒後にアキレスは亀に追いつきます。小学校の和差算でも計算できる問題ですね。(100-40)/(10-4)=10という風に。

アキレスと亀図

しかしこれを例えばエクセルで計算したとしましょう。上のステップを正確に計算するのですね。
下記にその計算結果の一端を示しましょう。とりあえず有限回数の計算で止めています。最後の行でかかった時間の総計を計算しましたら、10秒にはほんの少し足らない数字が計算されています。

アキレスと亀計算シート

そうすると。。。あらら行を幾つ使っても決してアキレスと亀の位置の差がゼロにならないではありませんか? ある意味T1,T2と進む論理は可能無限を取り扱っていると言えますね。これが実無限だと命名しないといつまでも差がゼロにならないのです。このような味方をすると今まで簡単に考えていたアキレスと亀のパラドックスも新鮮に見えて、また奥が深いと言わざるを得ませんね。全く無限というのはきわめて突き詰めて考えると厄介なものだと思いますね。

これを次のように考える方法もあります。
アキレスが亀の元にいた位置に到達する時間を全て足し合わせると次のようになります。これが無限に続いた場合は無限等比級数になりそれが収束すると右の式であらわされこたえは10秒。
latex-image-1_20120310141456.png

この辺の考え方は、有限の無限級数の和が次式であらわされる事がまず第一ステップ。
latex-image-2_20120310141456.png

その中で等比数が1より小さければその数の冪数はゼロになるので下記の式であらわされるという理屈な訳です。
この冪数がゼロになるとう簡単に結論づける所が上記の所謂、可能無限と実無限の議論を引き起こすのですね。
latex-image-3_20120310141456.png

この話をどんどん深堀していくととんでもないことになりそうですが。。。ただ計算プログラムを扱う場合などにはこの辺の概念がむくむくと頭をもたげてきます。現に上記のエクセル計算でも行数がいくらあっても最終的な数は10にならないのでね。

無限は....

                            latex-image-4_20120310141456.png




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