プロフィール

kazutabakun

Author:kazutabakun
好奇心旺盛でいろいろなことに興味を持つタイプ。

最新記事
Amazon
時計
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
FC2ブログランキング
気に入ったら下記をクリックしてください。

FC2Blog Ranking

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

江戸深川、清澄、両国 探訪(その1)中高年の星、伊能忠敬

私が住んでいる深川下町には江戸時代からの名所がいくつかありますが、このゴールデンウイークを利用して近傍を散歩しました。その一部を紹介します。地下鉄の門前仲町を降りるとそこには二つの有名な神社仏閣があります。深川不動と富岡八幡です。地下鉄の出口から深川不動への参道があり、地元では人情深川ご利益通りと呼ばれています。
深川不動ご利益通り_convert_20100430111458

その先に深川不動。今は社務所新築の真っ最中です。本道には不動明王が鎮座し法師達が護摩修行で信者の無事を守っています。
深川不動尊_convert_20100430111418

不動産のすぐ近くに魚の粕漬けや京都の漬け物を食べさせてくれる近為というお店があります。本店は京都なのですが、ここだけの粕漬け定食をいただくことができます。いつも行列ができる人気のお店です。側にきれいな花が咲いていました。
深川不動尊近為_convert_20100430111153  深川不動近くの花_convert_20100430112717

甘味処として自家製寒天のおいしいお店があります。地下鉄の駅の近くの『いり江』です。
深川不動甘味処入り江_convert_20100430111813

深川不動尊の隣にはこれも歴史が長い富岡八幡宮があります。当初から大相撲に関係があって神社の中には横綱力士碑などがあります。大関力士碑の写真を掲げましょう。
富岡八幡宮_convert_20100507181735  富岡八幡大関力士碑_convert_20100507181811

3年に一度の富岡八幡大祭りです。水をかけられながら渡御する御神輿の列。2008年に撮影しました。場所は永代橋。紀伊国屋文左衛門も深川に住んでいて富岡八幡に豪華な神輿を寄進したそうです。この祭りは神田、山王に次ぐ江戸三大祭りのひとつ。2008年には茅場町から木場まで神輿が120基ほどでたそうです。次回は2011年。
富岡八幡祭り2008_convert_20100508151036


富岡八幡宮にはゆかりの人がいます。日本で初めて正確な地図を作った伊能忠敬です。元々千葉の佐原の生まれで実直な生活を行い財を成して、隠居をしてから当地深川に居を設けました。小さい頃から暦学に興味があり、50才になって天文学の勉強を始めたそうです。その際には自分よりも随分年下の当時31才の高橋至時に師事しました。当時は年上が偉いという儒教精神が真っ盛りの頃、年下の先生について専門知識を勉強しようと言う忠敬はなみの人ではなかったようですね。

実は、忠敬は驚くべきことに地球の外周はどれぐらいであるかを知りたかったらしい。つまり北に向かって歩き、子午線1度の距離はどれぐらいになるか。それを360倍すれば地球の外周が分かる訳ですね。1795年のことです。まだペリーの黒船到来、西洋文化の波はずーと後のこと。しかし当時は既に日本でも地球は丸いということは伝わっていたのですね。歩いた距離と天体の傾きを調べてその距離が子午線上でどれぐらいになるかを求めて地球の外周を計算するのです。

伊能忠敬碑3_convert_20100507181520  伊能忠敬地図

富岡八幡にある伊能忠敬の像です。右は彼の測量隊が作った日本地図。忠敬は測量の旅に出発するときはいつも富岡八幡にお参りを行っていくのが常であったと伝えられています。彼の仕事にふさわしいように、像のかたわらには国土地理院2等三角点の地図の標準点が設置されています。像の歩き方も2歩で一間(180cm)という距離を得る為に少し大股になっていますね。しかしこの2歩は相当の大股でも難しい。本当は2歩半ではないかと言われています。
55才から蝦夷(北)に向かって測量をはじめ73才までの18年間をかけて日本地図の穂とのどを作り上げられました。約4万キロを制覇したといいます。奇しくも地球の一周分です。また英国の測量隊やペリーが来航の折その地図の正確さをみて驚愕したという話も残っています。長崎のシーボルトもこの地図に絡んでいます。当時のヨーロッパの地図に比較しても海岸線の描写は勝るとも劣らなかったようです。
さて当初の目的の地球の外周ですが、忠敬の測定結果と現在の測定との差は0.1%ほどの違いだったようで、現実的には伊能忠敬の地図は昭和の初めぐらいまでは使っていたとの話もあります。

門前仲町の葛西橋通りにひっそり建っている伊能忠敬隠居後の石碑も撮影しました。よく探さないと見逃しそうですね。一つの仕事を成し遂げ、50歳になってから世界にも類を見ない更に大きな成果を生み出した忠敬の生き様は現在の我々に何を語りかけるのでしょうか。少なくとも私には勇気をもらえるような気がします。
伊能忠敬屋敷跡2_convert_20100507182011

後日談。忠敬の遺言により没後は彼より早くなくなった師匠の高橋至時の墓の隣に葬られたとのこと。偉大な仕事を成し遂げた師弟二人はいつまでも静かに天文学の発展を見守っていることでしょう。

おまけに最近のハッブル宇宙望遠鏡の神秘的な映像を一つ。NASA提供5,000万光年彼方のブラックホール。質量は太陽の1億倍だそうです。今忠敬がいればどのように思うでしょうか?

372219main_spitzer20090723-516.jpg


スポンサーサイト

Comment

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。