プロフィール

kazutabakun

Author:kazutabakun
好奇心旺盛でいろいろなことに興味を持つタイプ。

最新記事
Amazon
時計
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
FC2ブログランキング
気に入ったら下記をクリックしてください。

FC2Blog Ranking

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

江戸深川、清澄、両国 探訪(その2) 芭蕉、赤穂浪士、勝麟太郎

江戸探訪の2段目です。深川永代通りを清澄通り沿いに北上し、新大橋通りを渡ると隅田川沿いに芭蕉記念館が見えてきます。そうここは芭蕉が居を置いていた所。芭蕉庵跡です。一人が座れるぐらいにちいさな庵で何を思っていたのか興味が尽きません。短い言葉に全ての情景、気配、思いを詰め込む俳句。言葉が一つ違うだけで流れが変わる。そんな世界にどのような洞察をしたのか、考えるにあまりある課題ですね。
芭蕉記念館_convert_20100430111727 芭蕉庵_convert_20100430111749

隅田川を望んだ所に芭蕉の像が建てられていました。遠くにいまの隅田川、清澄大橋が望めます。当時はコンクリートの防波堤等無かった時代でしょうから、芭蕉庵から墨田の川の眺めはもっとのどかな物だったと思われます。芭蕉さんはその景色が気持ちよかったのでしょうね。この地から芭蕉は奥の細道に旅立ったのです。芭蕉を偲んで近くには芭蕉稲荷神社があります。

膨大な俳句を残していますが、とくに有名な『ふるいけや、かわずとびこむ、みずのおと』は芭蕉庵で詠まれたと言い伝えられ近くの岩崎弥太郎の別邸であった近所の清澄庭園にこの句の大きな石碑が残されています。

芭蕉像_convert_20100430111649 芭蕉稲荷_convert_20100430112649
印象深い句に、奥の細道では平泉に立ち寄ったときの作品がありますね。
藤原三代を思って:さみだれの ふりのこしてや ひかりどう
中尊寺の金色堂は幾多の時間を経ても輝いていたのでしょう。
義経、弁慶主従を詠んで:なつくさや つわものどもが ゆめのあと
そして芭蕉の最後の句(大阪にて):たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる
最後の句は字余りの句。なにかまだこれから何かを行うという気持ちが出ているような気がするのは私だけでしょうか。

芭蕉記念館を後にして更に北上し、首都高速小松川線をくぐりぬけるとそこは本所松坂町。元禄時代に吉良上野介の隠居屋敷があったところです。今は小さな公園になっています。その中には首洗いの井戸といって吉良上野介の首を赤穂浪士が洗った井戸跡があり、それに覆いかぶさるようにしだれ桜がきれいに咲いていました。当時仇討ちを遂げた47士の心はいかばかりであったのでしょうか。それを思い起こさせる桜でもありますね。浅野内匠頭の辞世:風さそう花よりもなおわれはまた春の名残をいかにとかせん......内匠頭は元禄14年3月14日田村邸にて切腹。
吉良邸跡の看板_convert_20100508191048  本所吉良邸_convert_20100430111838
本所吉良邸の井戸_convert_20100430111603  本所吉良邸後のしだれ桜_convert_20100430111527
赤穂浪士はここで吉良上野介を討取りその後南下、永代橋を渡って泉岳寺に向かったと言われています。

さてここから数百メートル離れた小さな両国公園に勝海舟生誕の地碑があります。
2010年の大河ドラマ龍馬伝に登場する勝麟太郎、咸臨丸を操船してサンフランシスコ江戸を往復した軍艦奉行(本当は船酔いで館長室から出て来れなかったがアメリカに着いたら元気になったという説もあります。江戸っ子の負けず嫌い、やせ我慢の系譜でしょうか)。しかしまぎれもなく日本海軍の礎を作ったあまりにも有名な人ですね。破天荒にして一定の枠にはまらなかった人のようです。それにしては、といいますか、そうだからといっていいのか生誕地の碑は質素なものでいいのでしょうね。揮毫は西郷吉之助法務大臣となっています。吉之助はあの西郷隆盛の直系の孫。偉大なじいさまと江戸無血開城を行った相手である海舟を敬ったのでしょう。
勝海舟生誕の地碑_convert_20100430111901  Yoshiyasu_Katsu_in_Meiji.jpg

勝海舟は明治に入って赤坂の氷川神社近くに住んでいて、周りの人に氷川の隠居と呼ばれるほどに、記者等を集めて色々話をしたようです。氷川清話、海舟座談等に詳しく載っています。天璋院の話等も出てきますよ。それと海舟はやはり龍馬がお気に入りだったようです。話は気さくでべらんめい調ですが、所々で芯をつく発言なんかもありますね。経済のこと、中国とのつきあい方等。その奔放さが海舟が大嫌いという人たち(福沢諭吉等)とすごく好きだという人に別れるようです。しかしこの激動の時代を暗殺もされずに77才まで生きたのはある意味したたかな人だったのでしょう。

スポンサーサイト

Comment

非公開コメント